法務局からお返事が届きました。


5月27日の『新たな挑戦』という記事で、私は県の法務局人権擁護課にメール相談をしたことを取り上げました。

相談内容は、
虐待後遺症を抱えて生きづらさを感じている人に対して、相談に応じてくれる公的機関がないのは人権侵害に該当するのではないか?
です。

本音を言うと、自分でも『これは、かなりこじつけ感が強いかな?』、『前に厚生労働省にこてんぱんにされたから、期待しない方がいいな』と思っていました。

そして、今日、メールでお返事が届きました。

結論から言うと、人権侵害に対する答えは、ノーコメントでした。
おそらく、他の公的機関との兼ね合いもあり、はっきりとした返答は避けたかったのだと思います。


私が驚いたのは、以下の内容です。
法務局からの返事を、割愛して紹介します。

「虐待を受けてきたとのことで、今まで言葉では表せないほどのつらい思いをしてきたことでしょう。そのようなつらい境遇に負けずに、これまで生きてこれたのは、あなたの努力と忍耐があってのことでしょう。」


今まで、市役所、県庁、県立精神保健福祉センター、厚生労働省に相談してきましたが、公的機関から、このような言葉が聞かれたのは、今回が初めてです。
法務局の方に誠意を感じました。
こういう姿勢は、本来なら、精神保健福祉センターや厚生労働省がもっと持つべきだと思いました。


次に、
「あなたのような生きづらさを感じている方は、専門医のもとで、地道に治療を行うことが最善だと思います。時間がかかるかもしれないけど、薬の処方だけでは終わらせない、患者さんの話をじっくり聞いてくれる医師を探してみてはいかがでしょうか。その過程の中で、気が滅入るような出来事があれば、『みんなの人権110番』にお気軽に、電話かメールをして下さい。電話番号は○○、メールアドレスは○○です。」
とありました。


私は、医療機関は儲け重視で、患者の話をろくに聞かず、薬を処方して稼ぐ病院が多い。とメールに書いていたので、それに対するアドバイスだと思います。

もう、完全に法律からかけ離れているのに、ここまで対応してくれるなんて、びっくりです。
ご丁寧に、困った時の連絡先まで教えてくれました。

今回の、法務局への相談は、虐待後遺症を抱えて生きづらさを感じている人の現状改善には至らなかったです。
でも、相談したことには、私個人としては、大きな意味があったし、得たものもあったと感じています。

頭で考えるだけでなく、考えたことを行動することは、勇気がいりますが、私は大事なことだと思いました。
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数少ない友達のひとこと


ここ数日は、本当に色々あって、完全に狂ってしまいました。

私は、このブログにも書きましたが、昔、自分の本音を他人に打ち明けて、親にしばかれたことがあります。

だから、それ以来、悩み事があっても、ほとんど人に打ち明けることはなく、自分でじっくり考えて解決法を探るスタイルが定着しています。

誰かに愚痴ったところで、相手の人にも嫌な話を聞かせて、何の解決もしないのが嫌でした。

でも、今回は、どうしても自分ひとりでは、立ち直れそうになくて、数少ない友達に連絡しました。

「ごめん、いきなりこんな話、不快に思うかもしれないけど…。」と切り出し、ここ最近の出来事を打ち明けました。

すると、友達は、
「byhは、普段は、『実は、前にこんなことがあったんだ』って、過去形で話してきてたよね。いつも、ひとりで悩んで解決してから事後報告みたいな感じ。でも、それって、かなりきついでしょ?今日みたいに、リアルタイムで、もっと私を使ってよ。確かに、byhの話にはアドバイスできない内容が多いけど、話をするだけで、気持ちが軽くなることもあると思うよ。

それに、今日みたいに、かなりピンチの状態でも、『こんな話したら私を不快にさせるかも?』って、気を使ってる。それが、byhらしさでもあるけど、byhはもっと自分中心に考えてもいいと思う。」
と言ってくれました。


涙が止まらなかったです、ありがたくて、嬉しくて…。

対人関係が苦手な私は、友達が少ないけど、こんなに私のことを分かってくれる友達がいることには、誇りが持てます。

ちょっと、狂った状態から抜け出せたかな。

悔しい…。でも、負けない!


私は、私を虐待した母親に、心の底から、自分の言葉で謝ってもらいたかった…。

でも、伝わらなかった。

「虐待という言葉で意味が分からないなら、はっきり言ってやる!
あなたが私にしたことは、立派な犯罪です。
傷害事件であり、殺人未遂です。
今の時代なら、捕まって、全国ニュースに取り上げられるレベルですよ?」

母親に、ここまで伝えたけど、逆ギレされて、自殺をほのめかされました。

『死んで楽になられたら意味がない』

私は、「これからの人生を、自分で断ち切ることなく、生き抜いて下さい」と伝えました。


私は、もう、自分の親に謝罪を求めることは諦めました…。

めちゃくちゃ悔しいです。

でも、私が今していることは無駄にしたくはありません。

私のような、悲しい、悔しい思いをする人が、ひとりでも少なくなり、こんなつらい出来事が世の中からなくなるように願って、虐待の現状、虐待後遺症を抱える人の現状を、ひとりでも多くの人に理解してもらえるように、自分にできることを、積み重ねていきます。

最近の出来事


私は、過去の虐待と向き合うようになって、本当に色んなことがありました。

小児科医の先生のカウンセリング中に、今まで自分でも忘れていた虐待のことを思い出したりして、フラッシュバックを起こしました。

そして、まだ実家に私の持ち物が残っていることが気になるようになり、母親にメールで一部の大事な物は着払いで私の家に送り、残りの荷物は全て処分してもらうよう頼みました。

そしたら、妊娠検査薬の男から、「あんなメール送ってきて、どういうつもりか?」と言われました。

男が言うには、母親は、私からのメールを職場復帰が決まったというお知らせメールだと思いこんで、ウキウキしてメールを開いたら、内容が残酷過ぎると言って、泣きわめいているとのことでした。

私は、なぜ、私の方が責められないといけないのか?という思いと、被害者づらをしている母親に腹が立ちました。

心療内科の先生に相談して、「私は、母親からされたこと、その時の私の気持ちをはっきり本人に言い、事実を認めさせ、謝罪させたい」と言いました。

先生は、相手はボーダーラインだから、2人で会うのは危険。第三者をはさみ、かつ、母親がヒステリックにならずに話ができる状態になるまでは会わない方がいいと言いました。

また、事実を話すこと、自分の気持ちを伝えるまではいいけど、事実を認めさせ、謝罪させるのは、リベンジになっているから良くないと言われました。

私は、納得できませんでした。

でも、できるだけ冷静になって、もう一度考えてみました。

多分、母親が泣きわめかずに私の話を聞くことは不可能だと思い、手紙にしてみました。

ただ、一方的にこちらの言い分だけ主張するのは、不公平だと思ったので、手紙の最後に、「この手紙を読んで、あなたが感じたことを、私にぶつけてくれてかまいません」と一言添えました。

手紙を、心療内科の先生にも事前に見てもらって、これならリベンジ感もないし、いいねって言ってくれたから、妊娠検査薬の男に渡しました。

母親が手紙を読んだら、男から連絡をもらうことになっていましたが、一向に連絡がないので、私は男に連絡して、「手紙をまだ読んでないのなら、いい加減腹をくくって読め」と、母親に伝言を頼みました。

その結果が、昨日、今日書いたブログの内容です。

新たに分かった虐待のこと、肝心な出来事については覚えてないと言い、直接私に何を言ってもいいと書いたのに、自分の言葉では何ひとつ言わず、男に「ごめんって言っといて」の軽すぎる伝言の上、眠れない、精神的に参っていると、相変わらず被害者づらを続けている母親に、更に怒りの気持ちがこみ上げてきました。

ここ数日の、私のブログを読んで、不快な思いをさせてしまっていたら、本当にごめんなさい。

普段なら、ノートに思いを書き殴ったりするのですが、私は今、しびれで字が書けないので、このブログに怒りの気持ちをぶつけてしまいました。

私の感情のコントロールの仕方は、過食するか、自傷するか、文字にするしかないのです。
コントロールの仕方が、下手過ぎますね…。

高校時代


中高一貫なので、高校受験はなかった。

中学時代に私をいじめた先生は、他の生徒もいじめていて、その生徒の保護者からクレームがあり、謹慎処分を受けた。それからは、私のことをいじめることはなくなった。

高校から新しく入ってきた生徒達は、割と私と仲良くしてくれた。

家庭では、この頃から母親の夜遊びが激しくなっていた。

妊娠検査薬を見つけたのは、高3の時。

淫乱女の血が自分の中に流れていると思うと、気が狂いそうだった。

…もう、狂っていたかもしれない。

毎月来る生理が嫌で嫌でたまらなかった。
その気持ちは、今も変わらない。

体型も、嫌だった。
私は小6から高3まで、身長、体重はほぼ同じだったが、体型は、女の子から女に変わっていた。
それに対して、嫌悪感があった。

この頃から、お風呂で全身の皮膚を引っ掻く自傷行為が始まった。

卒業間近の時に、現国の先生にレイプされそうになった。
幸い、未遂で終わったが、もう、世の中の全てが信じられなくなった。

体型の嫌悪感は、ますます強くなった。
私は、マッチ棒みたいな体型じゃないと嫌なのだ。これは、今の摂食障害にも関係していると思う。


私の日常は、ざっと言えばこんな感じだった。

だから、普通が分からない。

数少ない友達は、私の話は聞いてくれるが、そんなことが現実に起こっているのが考えられないようだ。だから、「つらかったね。…でも、ごめん、何って言っていいか分からない」と言われる。


それは、そうだろうと思う。

経験した人にしか、分からないよ。

中学生時代


私立の進学校には、何とか合格した。

ここでも、私は、他の生徒にはない、独特の雰囲気をかもし出していたらしい。

クラスメートと馴染めなかった。

生物の先生に目の敵にされた。

50分授業のうち、30分以上を、私の名前を出さずに、でもはっきりと私のことと分かる言い方で、説教していた。

席の順番で当てていく時、必ず私は飛ばされた。

私と話してくれる、数少ないクラスメートまでが、その先生のいじめの対象になった。

私の周りに、友達は1人だけになった。

小学生時代


私は、保育園時代に家のことを先生に愚痴ったことで、母親にこてんぱんにされたから、この頃は、もう、自分の感情は親には見せなかった。

ただ、感受性は、ものすごく強かった。

低学年の頃は、自分に見えるもの、感じるものを、他の人も見たり感じたりしていると思っていたから、親以外の前では、それを言葉にした。

でも、実際は、そうではなかったらしい。

そして、ついたあだ名が『霊感少女』

あっという間に、クラスの中で浮いた存在になってしまった。

先生には、「お勉強はできるんだけどねぇ」と言われ、協調性のなさを指摘され続けた。

母親は、私が勉強さえできれば、それでいいみたいだった。

協調性のなさは、一人っ子のためだと思っていたようだった。

「テストは100点取るのが当たり前。習ったことが問題に出てるんだから、間違うのがおかしい。」

だから、95点でも、しばかれた。
「ちゃんと見直しすれば、うっかりミスはしなかったはずだ。100点が取れたのに…。」と言って、頭を叩かれまくった。

中学は、地元の公立中学ではなく、私立の中高一貫の進学校を受験するよう命令された。

6年生になった私は、夜中の3時まで、母親の監視のもとで勉強させられた。

学校では「霊感少女」とからかわれ、家では「勉強、勉強」で、私の精神状態は、とっくに崩壊していた。

でも、それを表には出さなかった。

心療内科医の見解


心療内科の先生は、私のこと、両親の話などをじっくり聞いてくれました。

ただでさえ、私の頭は混乱していて、話がまとまらず、時間がかかっているのに、「あ、その辺りの話、もう少し詳しく話してくれるかな?」とか、「今の部分は、僕は○○と思ったけど、合ってるかな?」と確認しながら、私と向き合ってくれました。

そして、「世間は、『親を敬え』って風潮があるけど、気にしなくていいですよ。家族には、色んなかたちがあるから。あなたは、お父さん、お母さんに抱いた感情に正直にいるままでいい。許さなくていいと思います。」と言ってくれました。

そして、次に言われたのは…

「僕は、あなたのご両親に直接お会いしていないから、こんなことは言ってはいけないかもしれないけど…。」

「まず、お父さん。あまり家にいなかったそうで、エピソードが少ないけど、おそらく、あなたのお父さんは、ボーダーライン(境界性パーソナリティ障害)です。」

「そして、お母さん。これは、はっきりと断言できる。お母さんも、ボーダーラインです、間違いない。

愛情に飢えていて、見捨てられ不安が非常に強い人ですね。

その、見捨てられ不安が元で、大人になったあなたのことを、今でも全て把握していないと不安になるから、あなたのスケジュールを報告させたりして、あなたをコントロールしてしまう訳です。

もちろん、お母さん自身は、自分がボーダーラインとは思いもしていない。

自分の考えが全て正しく、自分の考えと違う人は、ダメな奴と思って攻撃するんです。

そして、この病気の一番やっかいなことは、本人には病気の自覚がなくて、周りの人、特に家族、そして、職場の人を振り回すんです。

振り回された人達は、正常なのに、『自分がおかしいんだろうか?』と思い悩む…。

この、僕の話を聞いて、思い当たることがたくさんあるんじゃないかな?」
と言われました。

過去の色んな、バラバラになった出来事がつながった感じがしました。

…そして、上記の話を聞いて、真っ先に気になったのは、『私自身もボーダーラインなのか?』ということでした。

そこで、先生に恐る恐る聞きました。

「先生、私もボーダーラインですか?
摂食障害の本に、ボーダーラインを併発しているケースがあると読んだことがあるんです。」

先生は、「いや、あなたは、ボーダーラインではないです。ボーダーラインのご両親の影響は多少受けているとは思うけどね。

あなたは、どちらかといえば、『おひとりさま』が好きでしょう?見捨てられ不安が全くないから、ボーダーラインではないです。

お父さん、お母さんを見て、『あんな大人になりたくない』という気持ちが、かなり強かったようですね。

でも、そういうご両親に虐待されて育てられたあなたは、虐待されず、適切な愛情を受けて育った人と違い、正常に自我が形成されていないんです。

自我の形成に躓いた人の反応は、さまざまで、ボーダーラインになる人もいる。

あなたの場合は、自分自身を標的にしてしまったんですね。摂食障害は、広い範囲で言えば、自傷行為のひとつだから。

思春期に、親に反抗できてたら、摂食障害にはならなかったかもしれないけど、あなたの場合、過去に虐待された恐怖と、お母さんが「離婚をしたい」という話し相手の役割を押し付けられて、それぞれの年齢相応の子どもでいられなかった。

あなたは、何ひとつ悪くないんです。」

とのことでした。

両親


私の父親は、幼い頃に母親から虐待され、中学生の頃に家出して、親戚の叔母の家で生活していたらしい。
このことは、母親から聞いた。


私の母親は、幼少期に、日常的に親のDVを見て育ち、愛情に飢えた女だ。


こんな狂った2人の間に生まれてしまった私は、もし結婚して子どもができたら、自分の子どもに虐待するかもしれないと思った。

だから、10代の頃から、私は絶対結婚はしない、子どもは産まないと決心した。

父親


前のブログにも書いたが、私の父親は遠洋漁業の漁師だった。

約2年、漁に出て、仕事を終えて家に帰ってくる。そして、短くて2週間後、長くても2ヶ月後には次の漁に出る繰り返しだった。

幼い頃は、父親が家にいると、母親は虐待しなかったので、父親は救いの存在だった。

でも、父親にも、問題があった。

何がきっかけか分からないところで、突然キレて暴れるのだ。

私に直接手をあげることはしなかったが、怒鳴られたり、物を投げつけられた。

だから、私は、父親と話をしなくなった。

接点もあまりなかったから、父親のことは、よく分からない。

若い頃は、相当な遊び人で、モテていたらしい。いつも、若い頃の写真を出してきては当時の自慢話ばかりしていた記憶がある。

でも、私が知っている父親は、そんな面影は一切ない。

突然キレる訳が分からない人、普段は小心者のくせに、お酒の力を借りて暴れる狂った人、仕事仲間とトラブルを起こしては、仕事を途中でやめて帰ってきて、パチンコ三昧の、最低な男だった。
プロフィール

byhfs

Author:byhfs
はじめまして。byhfs ( byh )と申します。
2015年の夏に、摂食障害と診断され、仕事を休職しています。
摂食障害の原因は、過去の母親からの虐待と過干渉でした。
摂食障害だけでなく、うつ、対人関係の悩みや、引きこもり、フラッシュバックなどの虐待後遺症を抱えています。多重人格にもなってしまいました。
そんな虐待後遺症を克服するために、日々もがいていることをブログに書いています。
よろしくお願いします。

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